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2012年3月31日 (土)

コミュニティの合意とイニシャティブが必須 - 稲荷木モデルの普及のために(その1)

<この記事は小栗幸夫(千葉商科大学、ソフトカープロジェクトチーム、こども安全まちづくりパートナーズ)が書いています。>

今日は2011年度の最終日。この1年は東日本大震災の強烈なインパクトの中で過ごしました。

わたしは主に交通安全を目的としたソフトカーを子ども安全につなげる立場でプロジェクトに参加していますが、震災の中で、それまでの経験がどのように活かせるか、しばらく、苦しいときを過ごしました。

しかし、震災から2か月後、5月に石巻を訪ね、震災・津波被害と交通被害との関連が発揮見えると感じました。そして、今年(2012年)2月末から3月はじめに第6回目の石巻訪問。

そして、3月末には、村の駐車場の廃止を決めた世界遺産の白川村へ。

この経緯と、そこから学んだことを書きます。

● 石巻

(1)  車依存の市街地を拡大してはいけない!

被災した臨海部に流され、燃えた車の瓦礫が山のように連なっていたこと、その瓦礫の中で合掌するお母さんらしい若い女性を見かけ、彼女(佐藤美香さん)が、その場で、5歳のお嬢さん(愛梨ちゃん)を亡くしたこと、その理由が、愛梨ちゃん他のこどもを乗せた幼稚園のマイクロバスが誤って海の方向に走り、津波に飲み込まれ炎上したこと、こうしたことを昨年の10月19日に書きました。

「自動車が津波被害を拡大した」「復興の名前で車依存の市街地を拡大してはいけない」私の認識と提案もすでに書きました。

「復興の名前で車依存の市街地を拡大してはいけない」という私の考えは、地震、津波、原発事故が大きく報道される一方で、交通被害が日常的におこっていることに裏付けられています。「まちは”復興”した。しかし、そこで、こどもたちの安全は守られず、死傷の危機にさらされる」という事態になるからです。

交通被害は枚挙にいとまがないのですが、そのひとつ、ことし昨年4月におこった栃木県鹿沼の6人の通学児童の死亡事故も悲惨でした。加害のクレーン車のドライバーの疾患や、それまでの事故歴が多く報道されてきましたが、鹿沼を訪ねると、そこは、歩行者の姿が見えない、完全な自動車空間でした。

(2) ソフトQカーでの石巻訪問

脱・車依存社会、私はこの考えをアピールするために、ソフトQカーを石巻に送り、被災の人々、市役所、財界の方々に紹介し、2つの小学校(門脇小、蛇田小)、2つの幼稚園(ひばり幼稚園、石巻カトリック幼稚園)を訪問しました。

私がこのような活動をはじめたことをメディアが報道しました。特に、石巻日日新聞(6日間の壁新聞で有名ですね)が 「石巻で脱車依存への取り組みがはじまった」と報じたことは嬉しいことでした。下は、その報道。発行日は2011年12月27日です。

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(3) 「復興コミュニティタウン」の構想

小学校訪問の後、石巻の方から「臨海部の住宅の高台移転が課題。ソフトカーを組み込んだまちづくりの提案をしたら」とアドバイスを受けました。

そこで考えたのが、居住セル(20世帯程度)ーコミュニティ・ユニット(160世帯程度)-タウン・ユニット(640世帯程度)の居住形態と道路のヒエラルキー(歩行者優先同:最高時速6km-コミュニティ道路:最高時速15km-地区幹線道路:最高時速30km)。

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そして、居住セル、コミュニティ・ユニット、タウン・ユニットを、新しい土地を開発してではなく、既成市街地に組み込む。

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この構想の中で、うまく、ソフトカーが役割を果たすこともできます。

さて、ここまでのアイデアをまとめるのはそんなに難しい作業ではありません(どういう言葉を使うか、どう図解するか、などの苦労は若干あったけれど)。

問題は、このような案を単なる「提案」にとどめず、具体的な政策に組み込むにはどのような手立てをこうじるか?

そうか!と思いついたことがありました。小学校の校庭や幼稚園の園庭を「居住セル」とみなし、その内部を時速何キロとすることが適切か、という社会実験をおこなう。その実験結果を添えて提案を市などに提出してはどうだろう?

この社会実験の原型は2009年12月の稲荷木でのソフトカー走行実験。

私は、ここまでのアイデアをまとめて、2月29日-3月1日に、石巻を訪問したのです。

(4) 必要なのは石巻発の情報発信!

この訪問期間に、私は、石巻市役所、石巻のまちづくり会社(そこで現場実践をしている東北大学大学院生)、小学校、幼稚園、ソフトカー報道をしていただいた新聞社を訪ね、「復興コミュニティタウン」の構想を手渡しました。

私の提案はみなさんに好意的に受け止められた、と私は感じました。しかし、同時に、いますぐ、この提案を受け止めて復興構想をつくろう、という反応ではなかったと、私は報告せざるを得ません。

しかし、いろいろな人との会話の中から、私が考えてこなかったヒントが得られました。それは

「石巻の高校生にソフトカーを紹介し、高校生がソフトカーをつくり、未来のまちを考える。その結果を、高校生たちが、一方で市役所や財界に、一方で小学生や幼稚園児などに伝える」

というものです。石巻には石巻工業高校があり、そこには、電気科も機械科もあり、自動車部もある。

石巻の被害はあまりに甚大で、いますぐソフトカーを、自動車の速度制御を、という状況ではない、というべきでしょう。しかし、被害が甚大だったからこそ、いまこそ石巻を変えなければ、という思いを感じたのも事実です。

実際、ソフトQカーを受け入れ、もう6か月近く自宅の庭で保管していたたいている佐藤さんは、「石巻工業高校にソフトカーを紹介」というアイデアを強くサポートされています。

たまたま、石巻工業高校は甲子園出場の準備中。甲子園が一段落した段階で訪問しよう、と決意しました。

新年度を迎えての最初の仕事は、石巻工業高校に連絡し、訪問のスケデュールをつくること。

小学校、幼稚園のこどもたちの興奮ぶりは2005年の愛・地球博と同じものでした。しかし、そのこどもたちは大地震と津波の恐怖を体験し、家を、家族を、友達を失う体験をしたこどもたちです。こどもたちの興奮を一時のものとせず、夢を育て、それを実現していくこと、そこまでいって、はじめて、プロジェクトが成果をあげたことになる、と私は自分に言い聞かせています。

>>(その2)へ続く

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